ブラック労働を「仕方ない」と割り切る老人 日本にはびこる全体主義

こんにちは。ばんばんです。

以前、祖父と働き方について話していた時のことです。

ばんばん「働きすぎで死ぬっていうのはおかしいと思うんだ。電通の事件なんか象徴的だろ」

祖父「たった一人死んだくらいのことだろ。電通がどれほど日本に貢献してると持ってるんだ」

ばんばん「いやいや、人が死んでるんだぞ」

祖父「仕方ない」

ばんばん「しかたないって……。じゃあおれが働きすぎで死んでもいいの?」

祖父「仕方ない」

ぼくは絶句しました。

未だにはびこる全体主義

ぼくは祖父の悪口が言いたいわけではありません。この出来事に象徴される日本にはびこる全体主義について考えてみたいのです。

読者の皆様もなんとなく気づいているとは思いますが、日本には「お上(国、企業)が偉くて、社員や国民は逆らってはいけない」という風潮があります。

「会社に面倒を見てもらってるんだぞ」

「国のやることが正しいに決まってるだろ」

というような全体主義、もしくは同調圧力のようなものがあります。

冒頭の祖父は今年74歳で、警察署長にまで成り上がった人です。世代や経歴を考えるとそれこそ仕方のないことなのかもしれません

戦後から高度成長期までの風潮

敗戦とその後の経済成長を経て、日本は先進国の仲間入りをしました。原爆を落とされて焼け野原になった国がここまで復興したのは見事なことですが、そのために弊害があったのも事実です。

工業の発展のために公害が社会問題となり、経済成長のために仕事量は増えて帰宅時間は遅くなりました。

小津安二郎の映画を見ていると、夜の5時くらいにはお父さんが家にいるんですね。そのあと急激な経済成長があって残業が一般的になっていったのです。

おそらく当時の人たちは、「日本の成長のために仕方ない」と割り切っていたのでしょう。「全体の発展のためなら少数の犠牲は仕方ない」という考え方です。祖父はまさしくこの時代を生きてきた人なんですね。

その風潮がいまだに残っていて、長時間労働やパワハラ問題につながっているような気がしてなりません。

個の時代に突入していることをわかっているのか

現代は個の時代です。パソコン一台あれば仕事ができて、働き方や生き方は流動的になっています。

終身雇用も年功序列もくずれ、国や企業に面倒を見てもらうという発想は時代遅れです。ブロガーやフリーランス界隈の方ならわかってくれるかと思います。

そんな時代に「過労死は仕方ない」という考えがまかり通ることが、この国のおかしなところです。

パワハラや長時間労働の被害者も、「仕方ない」と割り切っているのも事実です。この風潮を打破しない限り、労働問題は解決しないというのがぼくの意見です。

では、どうすればいいのか。

情報発信を続けるしかない

全体主義を打破するためには、情報発信を続けるしかないと考えています。

ブログやツイッター、講演などを通して、多様な生き方ができる、個人でも稼ぐことができるという事実を伝えていくしかないです。

ブラック労働に悩んでいる人も、発信する側になってみれば視野も広がり、考え方も柔軟になるかと思います。

ぼくがフリーランスのイベントに参加するのもそのためです。自分の視野を狭くしたくないのです。

このブログもそういった目的で立ち上げています。

ぼくはまだ独立できるレベルではありませんが、ライティングで数万円程度なら稼げる力をつけています。

個人で稼ぎ、多様な生き方をするのはだれでもできる時代です。そのことに気づくのがスタートラインなのかなと思います。

 

 

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