創作小説 功太 ⑧

病室に入ると、良子が絵を描いていた。スケッチブックを持って、窓の外の景

色を描いていた。功太が声をかけると、絵を見せてくれた。

「上手だね」

「これが?」

彼女は眉を上げた。功太はお世辞を言ったことを後悔した。取り繕えばさらに恥になるので、黙っていた。

「演劇を観に行ったんだってね」

「面白かったよ」

「わたしも行きたかった」

「大川先生は誘ってくれなかったの」

「わたしの体を心配したみたい」

「それじゃあ、仕方ないよ」

「昔からそうなの。心配性で」

良子は絵と景色を見比べていた。

「わたしたちはね、親がいないの。わたしが五歳の時に、父が事故で、すぐあとに母は病気で。あっけなかった。しばらく親戚の家にいて、兄が働き始めてから二人で暮らしたの。あなた、家族は?」

「両親だけ。兄弟はいないよ」

「結婚したい?」

「わからない」

「わたし、結婚なんてしたくない」

良子の声は小さいが、力強かった。

「明美ちゃんも、結婚するかもしれないよ」

「田村に聞いた。相手はどんな人?」

「会ったことはないけど、働いてる、年上の人みたいね」

しばらく二人は口を噤んでいた。功太は絵の具を差し出した。

「それは?」

「誕生日プレゼント。大川先生や西宮さんたちから」

良子は箱を開けて、チューブを手にとった。彼女の指は細くて骨ばっていた。

「欲しかったの」

「よかった」

「わたしね、画家になりたいの」

「良子さんならなれるよ」

「ありがとう」

彼女は絵の具をしまって、ため息をついた。

「わたし、死ぬかもしれない」

「……どういうこと」

「体が、かなり悪いの」

「医者に言われた?」

「自分でわかる。兄には黙ってるけど」

彼女はシーツを握りしめていた。

「死ぬってわかってるのに、結婚する意味がある?」

功太は黙っていた。

「明美ちゃんのこと、考えてるでしょ」

「……」

「結婚して欲しくない?」

「西宮さんが幸せなら、いいと思う」

「優しいんだね」

優しいという言い方は違った。

「明美ちゃんにも、あなたみたいな時があったよ」

「おれみたいな頃?」

「高校時代、すごく好きになった人がいたの。働いてる人でね、お互いに愛し合って、結婚したいって考えてた。でも、相手があまりいい仕事をしてなかったのと、施設で育った人だったので、明美ちゃんのご両親が反対したの。資産もないし、社会的な信頼もないじゃないかってね。それでも明美ちゃんは諦めきれなくて、二人で生活するとか、自分も働くとか言ってた。最後には説得されて別れた。相手の人も、転勤で地方に行ってしまって、それっきり。しばらくはほとんど口をきかなくて、時々泣いていることがあった。その頃の明美ちゃんは、あなたに似ていた。立ち直ってからは話すようになったけど、なんとなくとっつきづらくなったね。何を考えてるかわからないって感じかな。一年経って、今の人と付き合い始めた。仕事でも成功して、家庭環境にも恵まれた人。明美ちゃんのご両親も喜んでるみたい」

良子は遠くを見るような目をしていた。

「わたしは、昔の明美ちゃんの方が好き」

その日の夜は眠れなかった。良子の言葉が頭から離れなかった。ベッドの中でじっとしていると深夜になった。

うつらうつらしかけた頃、急ブレーキの音が聞こえ、車が何かにぶつかったのがわかった。功太は起きてカーテンを開けた。アパートの前の道路に車が停まっていて、側に人が倒れていた。足をこちらに向けて、手を伸ばして横たわっていた。

外に出て、倒れている人に近づいた。若い女で、頭から血を流していた。周囲に携帯電話や化粧品が散乱していた。絵の具のチューブがあった。慌てて女の顔を確認して安心したが、手は震えていた。足元に折れた絵筆が落ちていた。

パトカーと救急車が来たので、家に戻った。しばらくは騒がしかったが、明け方近くに眠った。夢が恐ろしかった。車に轢かれた女は良子で、病院で息を引き取った。葬式で明美や大川が泣き崩れていた。

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