創作小説 「功太」 ①

窓の外が都会になっていった。ほとんど満席だった。さっきまで泣いていた赤ん坊は寝たらしい。話し声や、新聞をめくる音が聞こえた。功太は、鞄から大学のパンフレットを取り出した。専攻科目の説明や、部活動の写真が載っている。想像を膨らませていると、豊橋に着いた。ビルがたくさんあった。故郷の事を考えていた。家族や友達の顔を思い出しても、懐かしい気持ちにはならなかった。物思いにふけっていると、前の席の男が声をかけてきた。髪には白いものが混じり、杖を持っていた。
「旅行?」
大学に入学するので下宿するのだと説明した。
「学部は?」
「文学部です」
「専攻は?」
「外国文学です」
功太は、彼が学部の話に興味を示したのが嬉しかった。合格してからというもの、教師も親もおめでとうとしか言わなかった。勉強の事を話しても、まともに取り合ってくれなかった。
「どうして文学が好きになったの」
「昔から本が好きで」
「本といってもいろいろある。その中でも文学に興味を持ったのはなぜ」
答えられないでいると、彼は表情を緩めた。
「難しい事を聞いてしまったね」
気が楽になったが、情けなかった。男は本を読み始めた。「ハムレット」だった。
「読んだことはある?」
「あります」
「どう思った」
「ポローニアスがかわいそうでした」
「面白いね。あんな殺され方をしたら、たまったものじゃないよね」
少し間を置いてから、語り出した。
「ぼくはね、ハムレットが嫌いなんだよ。ガートルードが誰と結婚しようが、彼女の勝手だ。それに因縁をつけて、周囲の人間を不幸にしていく。こんな勝手な奴はいない」
「そうですね……」
細い声で答えると、彼は笑った。
「こういう話になると熱がはいってね」
「面白かったです」
「将来はどんな方向に進むの」
「特に考えていません」
「就職する?」
「多分そうなります」
「結婚は?」
「相手がいれば」
功太はぼんやりと将来を思い描いた。就職して、結婚して、子供を持つ。幸せそうだった。
「富士山が綺麗だね」
街の向こうにそびえ立っている富士山を、男は指差した。功太は窓に顔を寄せた。
「初めて?」
「ずっと見たかったんです」
「富士山は、一人でいるからいい。誰にも頼らず、自分の力で立ってるだろ。人間もそうあるべきだね」
功太には、男が大人物のように思えてきた。
「今日はどこまで」
「東京に帰るんだ」
功太と同じだった。
東京駅で男とは別れた。名前を聞こうとしたが、忘れてしまった。
下宿についた頃には、昼を回っていた。郊外の町だったので、人は多くなかった。駅を出るとロータリーがあり、飲食店が立ち並んでいた。風が吹いていた。線路沿いに歩いていくと、電車とすれ違った。大きな音を立てて通り過ぎていく。
部屋は日当たりが悪く、薄暗い。疲れていたので眠りたかったが、用があった。大学の教授に母の友人の大川がいるので、会いに行く。授業は明日からだが、研究室にいるので来てもいいと連絡を受けていた。

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