創作小説 ホールデンに憧れて ②

二月期になってすぐに模試があった。会場となった大学の教室に夕方まで閉じ込められた。他の生徒たちは、休み時間になると問題の傾向や志望校について話し合っていた。
翔太郎は解答用紙の半分も埋められず、同級生との会話にも入れなかった。休憩時間に読むための文庫本を持ってきていたが、鞄から出すことすらしなかった。
「翔太郎」
模試が終わって駅に向かう途中で、背後から呼び止められた。晃平だった。
「模試はどうだった」
「散々だったよ」
苦笑まじりに答えると、晃平も笑って、自分の結果を語り出した。英語はよくできたけど数学はできなかった。日本史は室町時代をもう一度勉強し直したい。翔太郎は全て聞き流していた。
「里見はかなり良かったらしいぞ。夏休みに相当勉強したらしい」
「あいつ、結局どこの大学に行くんだ?」
翔太郎が呟くと、晃平はいくつかの大学の名前を挙げた。
「そんないいところ目指してるのかよ」
「お前はどこに行くか決めたのか」
翔太郎は口を噤んだ。夏休み中、受験勉強どころか、学校の宿題にすら手をつけていなかった。
「おれは大学から野球の推薦もらっててさ、多分そこに行くことになるよ」
「夏大は惜しかったな」
「お前にも、応援に来て欲しかったよ」
晃平の言葉を、翔太郎は無視した。野球部の五回戦が行われていた時、彼は自宅で小説を読んでいた。文庫本のページをめくりながらも、試合の速報は確認していた。試合の流れが悪くなっていくと、嬉しいと思っている自分がいた。
「今更こんなこと聞くのも変かもしれないけどさ」
駅が見えて来た頃、晃平が切り出した。
「なんで高校で野球を続けなかったんだよ」
晃平の言葉に、翔太郎はすぐには答えられなかった。
翔太郎は中学時代、晃平と同じシニアリーグのチームに所属していて、外野手でベンチ入りしていた。晃平は一塁手のレギュラーで四番を任されていて、翔太郎は攻守交代の時に彼にグラブを渡したり、水を持って行ったりしていた。
最後の大会の二回戦。一点ビハインドで迎えた最終回に、ランナーを二、三塁に置いた場面で翔太郎は代打で出場した。ツーストライクから外角低めのストレートに空振り三振した。試合が終わってからも立ち上がることができず、晃平に肩を支えられて列に並んだ。野球をやめようと決めたのはこの時で、晃平からは何度も説得されたが、断り続けた。
「……おれが高校のレベルで通用するわけないだろ」
「そんなことないって。入学したとき下手でも、上手くなってベンチ入りしたやつだっていたぞ。お前でも可能性はあったよ」
「今更そんなこと言ったって仕方ないだろ」
声を荒げて翔太郎が言ったので、晃平もそれ以上は追求しなかった。
一週間後に模試の結果が届いた。自室で机の上に置かれた成績表を見ながら、翔太郎はため息をついた。学年の順位は下から数えた方が早く、偏差値も五十を下回っていた。
頭をかくと、髪の毛が手に絡みついてきた。鏡を見ると、やつれて無精髭を生やした顔が映っていた。同級生には、推薦やAO入試で合格を決めた者も出てきた。彼らは遊びの話をしていて、一般入試を控えている生徒から恨めしげな目で睨まれていた。

十月になってから、ようやく翔太郎は受験勉強を始めた。小説を書くのもやめて、読書の時間も削った。最初は全くわからなかった歴史の年号や英単語も覚えられて、十二月の模試の成績は少しだけ上がった。それでも合格が難しいのは明らかで、カレンダーをめくるのが怖くて仕方なかった。この時期からでも入れる予備校もあったが、同級生と会うのが恥ずかしくてやめた。
晃平は進学先が決まると野球部の練習に参加し始め、学校では野球の話ばかりしていた。彼の話を聞きながら、翔太郎は最後の打席を思い出していた。
一月のセンター試験も散々だった。入試科目の国語、英語、日本史は半分も点が取れず、二月に控えた入試へのやる気を無くした。里見は全ての科目で九割以上の点数を取っていて、志望校への合格はほぼ確実だと息巻いていた。彼女が翔太郎を見る目は哀れみをはらんでいた。
入試本番では解答用紙を埋めることはできたものの、自信は全くなかった。一週間後に不合格通知が届いた。翔太郎の結果を聞いて、晃平は気まずそうに言葉を濁し、里見はなにも言わなかった。
卒業式のあと、保護者と卒業生で賑わう門の前で、翔太郎と晃平は話をした。
「浪人するのか」
卒業証書を入れた筒を弄びながら、晃平は言った。もう気まずさや遠慮はなく、からかうような調子さえあった。
「まあな、今度こそ予備校にも入ってちゃんと勉強するよ」
「応援するよ。小説書くのは続けろよな。お前には才能があるよ。おれが保証するから。また新作ができたら教えてくれよな」
ありがとう、と言って、晃平と別れた。教室に荷物を取りに行く途中、里見とすれ違ったが、会釈すらしなかった。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です