創作小説 ホールデンに憧れて ③

久しぶりに集まろうと晃平から連絡があったのは、五月半ばを過ぎた頃だった。翔太郎はサークルの活動が忙しかったが、なんとか都合をつけた。里見も来ると聞いていた。
晃平が予約した居酒屋は三人の出身中学の近くにあった。気温は二十五度を超えたが、翔太郎は黒い長袖のシャツとジーンズをはいていった。
店に入ると、晃平が奥のテーブルで手を振っていた。里見は彼の前の席にいた。
「久しぶりだな。卒業式以来か?」
晃平は翔太郎の肩を叩いた。高校の時よりも筋肉がついて、身長も伸びていた。机の上には空のジョッキがあり、彼の顔は赤かった。
「髪が伸びたね」
里見が翔太郎を見ながら呟いた。高校時代よりも化粧がうまくなっていて、黒いアイシャドーを塗った目元が大人びて見えた。翔太郎は律子を思い出した。
「まだ書いてるのか」
「まあな」
「同人誌みたいなの出してるらしいな」
「みんなで作品を書いて製本して、フリーマーケットみたいなので売ってるんだよ」
一年間予備校に通った翔太郎は、第二志望の私大に合格した。入学するとすぐに創作サークルに入った。サークルの中で翔太郎はなぜか高い評価を得て、部員はみんな一目置くようになった。高校時代に里見と律子に酷評された作品は絶賛され、翔太郎はからかわれているんじゃないかと思ったほどだった。
「すごいな。やっぱりお前には才能があるよ。文学賞に応募したらいいとこいくんじゃないか」
晃平に相槌を打ちながら、翔太郎は里見の方を見ていた。彼女は話には入らず、アジの開きをつついていた。耳には丸いピアスがぶら下がっている。晃平がトイレに立ったので、二人は話し始めた。
「音楽、続けてるらしいな」
「人は集まらないけど」
「動画を投稿するのはやってるの」
「大して見てもらえないから、やめた。翔太郎の言う通り、わたしには音楽の才能なんてなかったんだよ」
翔太郎は何と言っていいかわからなかった。よく見ると彼女は高校時代よりも痩せて、頰がこけていた。彼女は翔太郎の左手首に視線をやった。
「この暑いのに……。傷を隠すために長袖を着てるの?」
翔太郎は口ごもって目を泳がせて、机の上に置いた左手を膝の上に乗せた。
「どうしてリストカットなんてしたの」
二度目の大学入試を控えた十一月の終わり、翔太郎は自室で左手首を切った。カッターナイフで切れた手首から二筋の血が床に落ちただけだったが、隠し通せるはずはなく、両親に見つかって病院に連れていかれた。傷が浅かったのでその日のうちに退院はできたが、しばらくは勉強が手につかなった。包帯を巻いた手首を見ていると、放心状態になった。
「晃平が大学野球で活躍してるって聞くと、なんだかよくわからない怒りみたいなのがあふれてきて、気づいたらやってたんだよ」
翔太郎がそこまで話したところで、晃平が戻ってきた。里見は「その気持ち、わかるよ」と呟いた。

「意外だったよ」
里見と一緒に店を出て、翔太郎は切り出した。
「音楽の才能がないって言ったり、リストカットする気持ちがわかるって言ったり、お前も変わったな」
里見は店の前の道路に視線を移した。暗闇の中を、車が走り去っていく。
「大学の軽音サークルに入ったんだけどさ、わたしより上手い人、たくさんいたよ。うちの大学大きいから、他にも音楽系のサークルはたくさんあって、文化祭でライブとか見るんだけどさ、全然レベルが違うの。わたしみたいに一人で自己満足でやってた素人なんてって思って。高校の時翔太郎に偉そうなこと言ったの、ほんとに後悔してる」
俯いて、消え入りそうな声で里見は言った。店から晃平が出てきた。
三人はコンビニで酒とつまみを買って、中学校の近くにある小さな公園に立ち寄った。
「昔はよくここで遊んだよね」
木製の古びたベンチに腰掛けて里見が言った。
「中学の時はこんな時間まで遊んでたら補導されたけどなあ」
晃平と翔太郎はベンチの前にあった、動物の形を模した遊具に座った。晃平がビニール袋から缶ビールを取り出して二人に渡した。
「晃平、律子さんとはまだ続いてるのかよ」
翔太郎はからかうような口調で晃平に尋ねた。晃平はビールを飲みながら顔をしかめた。
「もうとっくに別れたよ。おれの練習が忙しくて会えないし、向こうも色々大変でな」
「律子さんって就職はどこに決まったの」
里見が口を挟んだ。
「外資系の商社に入ったよ」
「商社?」
「文学はもういいってさ。よくわからんけど、自信を無くしたみたいだよ」
空になった缶を袋に入れながら、晃平は呟いた。
「お前はかなり活躍してるらしいな」
翔太郎が言うと、照れ笑いしながら答えた。
「そんなでもないよ。ただ、まぐれでベストナインに選ばれただけだって」
頭をかきながら話す晃平は、少年のように見えた。里見が尋ねる。
「スカウトとかはこないの?」
暗闇の中でも、彼女が目を輝かせているのがわかった。翔太郎は晃平の答えを聞きたくなかった。
「企業から話が来てるよ。卒業したらお世話になるかも知れない」
里見が企業名を聞くと、晃平は自動車会社の名前を挙げた。都市対抗の常連で、プロで活躍する選手を何人も輩出している企業だった。
「まだ決まったわけじゃないよ」
大袈裟に手を振りながら晃平は言った。言い訳するようなその口調が翔太郎の癇に障った。里見も真顔になっていた。
「おまえは野球の才能があるんだな」
「才能なんてないよ。ただ努力してるのと、少し運が良かっただけだよ。野球の才能なら、翔太郎、おまえの方があったと思うよ」
晃平は真剣な表情で翔太郎を見つめた。翔太郎は何も言わずに視線を逸らした。

晃平たちと会ってから一週間後、翔太郎は百貨店に来ていた。本屋の文庫本コーナーをうろついていると、すぐ横で本を手にとっている女がこちらを見ていた。律子だった。
「律子さん……」
「久しぶりだね」
律子は、頰や二の腕に肉が付いたように見えた。化粧は薄く、ピアスもしていない。青いワンピースを着て、髪の毛は肩にかかるくらいまで長くなっていた。見た目の印象は中学生のようだった。
「商社に就職したんでしたっけ」
「どうして知ってるの?」
「晃平に聞きました」
「晃平ね……」
「別れたんですよね」
「とっくにね」
律子は周囲を見回した。本屋の中は人が多く、音楽が流れていた。
「外に出ようか」
二人は本屋から出て、通路にあるベンチに腰かけた。喫茶店に入ろうと翔太郎は言ったが、なにも飲みたくないと律子は断った。人が行き交う中でベンチに座っているのは落ち着かなかったが、律子の体はベンチの上にすっぽりと収まっていた。
「もう小説は書いてないんですか」
「うん。やっぱりわたし、才能ないみたい」
「……」
「大学に入ってから、文学賞に何度か応募してみたんだけど、予選すら突破できなくってさ。それで自信なくしちゃって。高校のとき、最終選考まで残ったのはやっぱりまぐれだったんだよ」
翔太郎はなんと言っていいかわからなかった。「そんなことないですよ」などと言っても、慰めにもならないことはわかっていた。
「高校の文芸部に顔だしたとき、あんたと話したじゃない。大学の文芸サークルって言っても、そんなにレベルは高くないって。その考え自体がわたしの思い上がりで、大したことないって思ってた人が、段々実力をつけて面白い作品を書くようになって、自分が書いたものがものすごく幼稚に見えてきたの。あんたに対して偉そうな態度とったのが恥ずかしくなってさ」
二人の目の前を、人が通り過ぎていく。
「あんたの方が才能はあったのかもね。文芸部で里見が朗読してたあの作品、内容はよく覚えてないけど、今読むと全然違って見えるのかもね」
「律子さんの周りの人、例えばサークルの人なんかは、律子さんが書くことに関してどう言ってるんですか?」
「才能があるんだから続けなよって言ってくれてるよ。でも、そう言われるほど、書きたくなくなってくるんだよね」
律子の横顔は里見に似ていた。
「とにかく、わたしはもう小説は書かないよ。趣味で読書をするくらいかな」
立ち上がって、「またね」と言い残して、彼女は去っていった。

 

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