創作小説 無題④

「ほんとに、あいつら舐めてるんですよ、ぼくのこと。こっちが優しくしてやったらつけあがりやがって、宿題もろくにやってこないし、授業中は騒ぐし。それで教室長に怒られるのはぼくなんですよ。教室長も教室長ですよ。春期講習のテキストだって、中二の分はぼくの仕事じゃないのに、全部丸投げしやがったんです。おかげでぼくはいっぱいいっぱいになって、出来上がったテキストは誤字脱字だらけ。社長には怒られるし、生徒にもますます舐められるし、もうやってられないですよ」
早口でまくし立てて、金谷は五杯目のビールを飲み干した。仙崎ももう六杯は飲んでいた。
神社での金谷と仙崎の戦いの後、仙崎の回復を待っておれたちは駅前の居酒屋に行った。仙崎の提案だった。最初は挙動不審ではっきりと喋らない金谷だったが、仙崎との戦いで吹っ切れたのか、店に入ってビールを飲んだ途端堰を切ったように喋り出した。
「なるほど、お前の優しさに、ガキどもと上司はつけこんでくるんだな。最低だよ、そいつら。お前は悪くない」
仙崎は金谷と戦って負けたのだが、物怖じするどころか戦う前と同じ態度で接していた。金谷も仙崎に対しては敬語を使い、下手に出ていた。
「はい。ぼくは彼らのことを思ってきつく言わないようにしてるんです。ぼくの気持ちも知らずに調子に乗りやがって、もう嫌ですよ……」
「でも、今日おれをぶちのめしたお前はかっこよかったぞ。あの姿を教室長や生徒が見たらお前を見る目が変わるんじゃないか」
「本当ですか?」
「本当だよ。だから、もっと強くなろうぜ」
「もっと強く……」
仙崎の言葉を繰り返す金谷の頰は紅潮していた。それはアルコールのせいだけではないだろう。なんとなく話の流れが読めてきたおれはげそをかじりながら顔をしかめた。
「こらからも戦おうぜ。もちろん金谷の都合のいい時でいい。仕事終わりでも、休みの日でも。場所はあの神社だ。もっといい場所があればそっちでもいいけどな。強くなればガキどもも上司もお前をバカにしなくなるさ」
おれは金谷を仲間に入れるのに反対したかったが、仙崎の乗り気な口調と金谷の興奮した表情を見て、時すでに遅しと察した。
仙崎の言葉に、金谷はゆっくりと頷いた。その目は怪しく光っていた。

 

店を出ると金谷は帰っていった。帰り際に仙崎に深々と頭を下げて、「ありがとうございます! ありがとうございます!」と繰り返していた。
時計を見ると十一時半だ。仙崎は終電で帰るつもりらしかった。
「いいのかよ、あいつを仲間にして。バラされたらやばいぞ」
改札の手前でおれが言うと、仙崎は不敵に笑いながら答えた。
「大丈夫だ。お前は怒るかもしれないけど、あいつもお前と同じだぜ。他人の視線の奴隷だ。生徒や上司からの評価で自分を縛っている。面接官の目ばかり気にしてるお前と同じだよ。戦いで本当の自分を解放すればいいんだ」

 

それから金谷はおれたちの戦いに参加するようになった。彼の勤めている塾はおれの自宅から二駅離れたところにあるらしく、神社に現れるのはいつも十一時前後だった。ポロシャツにスラックス姿で、大きな鞄を抱えてやってくる。
その時間帯にはおれと仙崎の戦いは終わっていて、おれは体力が無くなっている。なので金谷はいつも仙崎と戦った。戦績はほとんど金谷の圧勝だったが、金谷は普段運動する機会がないので、スタミナはほとんどない。仙崎はおれがしているのと同じように、金谷との戦うときはうまく距離をとったりフェイントを入れたりして時間を稼ぎ、体力を奪う作戦を使うようになった。仙崎に翻弄されて金谷はすぐに息を切らし、体のバランスを崩したところで顔面やみぞおちに一撃を食らう。このパターンで仙崎も少しずつ金谷に勝てるようになった。
戦いを続けることで強くなっても、金谷は相変わらず職場で舐められていたみたいだ。顔や拳についた傷のことで生徒にからかわれたり、上司にバカにされたりしたらしく、仙崎と戦うことが逆効果になっていた。それでも、夜の十一時過ぎに神社に現れる金谷は目を輝かせていた。戦うことそのものが目的になっていたみたいだ。

 

夏休みも近づいたある日のこと、卒業制作に関することで教授と面談をしに行ったおれは、大学の食堂で河本に会った。おれはジーンズに黒いシャツを着て、河本は膝丈の青いパンツに白いポロシャツを着ていた。
「お、卒業制作の面談か?」
おれの顔を見ると河本は人懐こい笑顔で話しかけてきた。
「そうだよ十月から書き始めるのに気が早いよな」
「ほんとだよ」
河本はおれの顔を覗き込んできた。
「そのアザどうしたんだよ」
おれは慌てて手で隠したが、遅かった。訝しげな目で見つめる河本になにか言わなければならない。
「いや、ちょっと転んでさ……」
我ながら陳腐極まりない言い訳だった。河本は腑に落ちないらしく、まだおれの顔をじろじろ見ていたが、やがて料理を注文する列に並んだ。おれも一緒に並び、話題を変えるために話を振った。
「塾の先生になる研修は始まってんのかよ」
まだおれの顔をジロジロ見ながらも、河本は答えた。
「研修どころか、夏期講習の中一、中二の授業はほとんど任されてるよ。社員が中三に集中しちゃうから、中一と中二は文系科目までやらされるんだ」
おれはカレーを注文し、河本はビビンバを注文して席に着いた。
「それで、文系科目担当の社員が作ったテキストが誤字脱字だらけでさ、とてもじゃないけど生徒に見せられないからって言って、書き直し作業をおれまでやらされるハメになったんだ」
おれはカレーを食べて水を飲んだ。大盛り四百三十円の学食カレーは入学当初から食べているが、相変わらず美味い。河本はビビンバにも手をつけず話し続けた。
「社員なんだからテキストくらいちゃんと作って欲しいよ。まあ、あの人も上司に仕事を押し付けられたんだから仕方ないとは思うけど。舐められてるんだよな、あの人、上司にも生徒にも」
「大変そうだな」
よく見ると河本の目の下にはクマができていた。きっと夜を徹してテキストの編集や授業準備をしていたんだろう。河本も苦労しているんだと思うとなぜかおれは安心した。
河本はようやくビビンバに手をつけながらまだ愚痴を言っていた。そんな奴の姿を見て愉快に思っているおれがいた。適当に相槌を打ちながらカレーを口に運んでいると、河本がおれのアザを見ながら思い出したように呟いた。
「そういえば、あの人も顔にアザ作ってな。それで他の先生にバカにされてたよ」
スプーンでカレーをすくっていたおれの手が止まった。
「他の先生には理由を言ってなかったけど、おれとは仲がいいから、こっそり教えてくれたよ」
「そうなんだ……」
「たしか、秘密のボクシングクラブに入ったとか言ってたな。すげー楽しそうな顔で語ってた」
「その人の名前は?」
震える声でおれはきいた。
「名前? なんで名前が気になるんだよ」
「いいから教えてくれよ」
いきなり強い調子で言ったので河本は驚いて目を見開いた。食堂にいる他の学生も一瞬おれの方を見た。おれは顔を赤くして俯いて、もう一度河本に質問した。
「悪い。取り乱しちまった。とにかくそのひとの名前が知りたいんだ」
「….…まあいいけど、金谷先生っていうんだよ。まん丸に太った人だ。知ってるのか?」
「….…いや、知らない」
「なんなんだよ」
河本も不機嫌そうな顔になった。突然問いただされたんだから当然だろう。おれは罪悪感に苛まれて萎縮した。気まずい沈黙の中でおれたちは食事を進めた。
「そのクラブで、自分のことを認めてくれる尊敬できる人に出会ったらしい」
ビビンバを食べ終えて、ふてくされたような顔で河本は言った。
「尊敬できる人?」
「うん。たしか、センザキさんとか言ってたな……」

 

おれは食堂を出て河本と別れたあと、早足で別の校舎に移った。空いている教室に入り、中に誰もいないのを確認して仙崎に電話した。
「どうしたんだよ、急に」
電話の向こうの声は今起きたばかりみたいに間延びしていた。
「やっぱりあの豚野郎は喋ったぞ」
「なんなんだ、冷静に順を追って話せよ」
河本から聞いた話をすべて話した。最初は間の抜けた調子だった仙崎の声も、話が終わるころには緊張した固い声になっていた。
「それはヤバイな。かねやんのやつ、口が軽い奴だったか」
「だからおれは仲間にするのに反対だったんだよ」
仙崎はしばらく黙っていたが、やがて言った。
「とりあえず次に会ったら言ってやらなきゃいけないな。場合によっちゃ出禁にする必要もある」
「もしやつがもっと言いふらしたらどうする?お前の名前まで喋ってるぞ」
「場所は割れてるか?」
「いや、あの神社ってことは言ってないと思う。もちろんさっきおれが聞いた範囲の情報だから、たしかなことはわからないけど」
「場所さえわからなければ大丈夫だ。なに、おれの名前が知れたことなんて大した問題じゃない」
「….…なんでだよ。名前が知れた方がまずいんじゃないのか。最悪の場合逮捕されるかも知れないぞ」
「いや、大丈夫なんだよ。おれは大丈夫だ。まあ、あんまり気にするなよ。とりあえずかねやんのことについては考えておく」
笑いながらそう言って仙崎は電話を切った。無人の教室に一人残されて、おれはスマートフォンの画面をみつめていた。

 

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