創作小説 無題⑤

その日の夜、神社にやってきた金谷を仙崎は叱責した。
「職場でこの集まりのことを話してるだろ」
「も……申し訳ありませんでした!!」
しばらく黙り込んでいたと思ったら、唐突に大声を出した。
「謝ったって仕方ないんだよかねやん。この場所でこういうことをしてるってバレたら最悪つかまるぞ。お前も仕事クビになりたくないだろ。まあ、生意気なガキとアホな上司しかいない職場ならクビになった方がいいか?」
金谷は首を横に振った。生徒になめられ、上司に罵倒されても、仕事を辞めるのが怖いのだ。
「とにかく、お前は二週間謹慎だ。どっちにしてもこの集まりはしばらくやめて様子を見なきゃいけないからな」
仙崎に言われて、金谷は肩を落としてうなだれた。面接で失敗した時のおれみたいだ。
金谷はとぼとぼとした足取りで帰っていった。その後ろ姿を見つめながら、仙崎は言った。
「おれたちも休んだ方がいいな」
おれは右手を見つめた。仙崎と二人で戦っている間は大丈夫だったが、金谷が参加し始めた頃から痛み出した。今では指の曲げ伸ばしをするだけで鈍く痛む。顔や肩にもアザができていた。
「二週間休んで、また始めればいい」
そう言って仙崎も帰っていった。

 

神社での集まりが中止になってから二週間経った日、出版社の企業説明会に来ていた。説明会は本社の大会議室で行われた。学生たちは席に座り、採用担当の社員が前に立って大きなスクリーンに画像を映し出して会社について説明した。出版している本、新しく手がけている事業、福利厚生……。初任給一八万五千円、住宅手当あり、社会保険完備、リゾート施設割引利用可能。スクリーンに映し出される文字はおれの頭の中には入ってこなかった。周りの学生は真剣な表情でメモを取っていた。なにもしていないのはおれだけだったが、気にはならなかった。メモを取ったところで内定がもらえるわけではない。今日の説明会の後にすぐ一次面接が行われるが、そこで話すことも考えていなかった。おれはなにも考えずに説明会の予約をして、電車に乗って、ここに来たのだ。
面接は別の小さな部屋で行われた。説明会に参加していた学生は五十人くらいだったが、面接をするのは二十人前後らしかった。おそらく事前に希望した学生だけが面接に移り、他はまた後日に行うのだろう。おれが今日の面接を希望した理由も特に無かった。ただ、なんとなくだ。
部屋に入ると奥に濃紺のスーツを着た男が座っていて、机の上の資料に何か書いていた。おれに気づくと、入り口の前に置かれていた椅子に座るように促した。
「こんにちは。今日は来てくれてありがとう」
おれが椅子に腰を下ろすと、男は笑顔で言った。おれは、はいこちらこそ、と、自分でもよくわからない返事をした。男は三十代後半くらいに見えたが、髪の毛は薄く、生え際が後退して、広い額が蛍光灯の光を受けて光っていた。
「早速だけど、名前と大学名を教えてくれるかな」
気さくな口調のまま男は質問してきた。おれはいつも通りこたえたが、声は暗く沈んでいた。
「どうしたの、元気ないね」
「昨日あまり寝てなくて……」
適当な言い訳をした。男は数秒の間黙っていたが、また質問した。
「出版に興味を持ったのはどうしてかな」
おれは少し考えたが、答えが浮かんでこなかった。出版に興味などない。
「えっと……本が好きなので」
「そうなんだ。わたしも好きなんだよ。誰の本を読むの?」
おれは何人か作家の名前を挙げた。その中には、文豪と呼ばれる名前もあったが、男は知らないか、知っていても作品を読んだことがないらしく、話を広げようとはしなかった。お前こそなんで出版に興味を持ったんだと、おれは思った。
「なるほど、結構読んでるねぇ」
手元の資料に視線を落としながら、男は間延びした相槌を打った。本にも、出版業にも、おれにも、大して興味なんて持ってないんだろう。ただ仕事だから、生活のためだから、作業のように面接官をしている。そう考えるとおれはすこし安心した。こいつも、おれと同じ奴隷だ。
「学生時代、何か頑張ったことはあるかな?」
おきまりの質問がきたが、おれはもう野球の話はしたくなかった。奴隷になってはいても、あの頃の話をネタにすることだけはもうしないと決めたのだ。そう考えると、神社で戦っているときと同じ緊張と熱狂が体の底から湧いてきた。
「ありません」
「ありませんって……君、そりゃないだろ。君の履歴書を見たけど、野球経験もあるし、大学のゼミにも取り組んでるみたいじゃないか」
「ぼくは面接であなたに気に入られたくて野球をやっていたのではありません。ゼミも同じです」
間髪を入れずに言い返すと、男は頰を引きつらせた。おれの体は火照っていた。しばらく二人とも口を噤んでいた。やがて男が口を開いた。
「君のような学生はたまにいるよ。純粋な反抗心でやってるのか、奇をてらって受かるのを狙っているのか。何れにしても幼稚だね」
男の口調は高圧的になり、声も低くなった。笑顔も消えて、手に持っていたボールペンを机に置いて背もたれに体を預けている。
「反抗心でもなければ、奇をてらったわけでもありません」
「じゃあなんなんだ」
「本当のことを言っているだけです」
男は鼻で笑った。
「君の言いたいことはわかるよ。おれにも君みたいな時期があった。君のために言っておくけど、それだけじゃやっていけないんだよ」
部屋の中は沈黙に包まれていた。面接官の男は天井を見つめていた。天井を通して、もっと遠くを見つめているみたいだった。
「他に何か、言うことはありますか?」
しばらく経ってから、固い声と敬語で、男は尋ねた。おれは冷たい圧力を感じて、何も言うことができなかった。

面接が終わって駅まで歩く途中、おれの頭の中には面接官の言葉がぐるぐると回っていた。七月の日差しは容赦なく降り注ぎ、ワイシャツの脇に汗が滲んでいくのを感じた。雑貨屋で買った革靴は底がすり減って、爪先に白い傷が付いていた。
電車に乗ると冷房の効きすぎで汗が冷えて肌寒かった。シャツの襟が汗でふやけて反り返っていたがどうでもよかった。スマートフォンで高校野球の速報を調べると、おれの母校は三回戦を突破したとのことだった。そのニュースを見た途端、冷えていた体の奥が熱くなっていくのを感じた。神社で仙崎と戦っているときと同じ興奮だ。冷房が効いた電車の中なのに、汗が噴き出した。おれはスマートフォンの画面から顔を上げた。体に力が入り、目の前の先に座っていたスーツを着た男を睨みつけた。拳を固く握り締める。誰でもいいからぶん殴ってやりたかった。前の席にいた男は立ち上がって隣の車両に行ってしまった。スマートフォンに視線を落として高校野球の情報をもう少し調べてから顔を上げると、前の席に仙崎が座っていた。
「よお。すごい顔してるな。今ここに座ってた男なんてドン引きして行っちまったぞ」
ネイビーのスーツに白シャツとブラウンのネクタイ。初めて会った時と同じ格好だ。
「お前も今日は嘘つき大会かよ」
低い声でおれは尋ねた。隣の席に座っていたOL風の女の視線を感じた。同じ車両に乗っている何人かの人間がおれを見たが気にならなかった。
「そんなところだ。暇つぶしにな。やっぱりあの神社での戦いがないとつまらんな」
「おれもそう思ってたよ。明日からまた戦えるな。あの豚はいいからお前と戦いたいよ」
「そう焦るなって。かねやんは必要な人間だよ。おれにとってもお前にとっても」
「あいつが? なんでだよ」
「まあ、そのうちわかるさ」
おれの斜め前、仙崎の左隣に座っている男二人がおれのことを見てニヤニヤ笑っていた。なんだ。お前達なんてやろうと思えばぶちのめしてやれるんだぞ。
「やめとけ、明日の夜になれば思う存分戦えるだろ」
二人の男を睨んでいたおれを仙崎が窘めた。おれは舌打ちをして視線を仙崎の方に戻した。隣の女も、斜め前の男たちも、みんなおれを見ていた。どうしてそんなにおれを見ている?

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