創作小説 功太 ⑦

授業が終わった後、同級生に声をかけられて、雑誌を渡された。学部内で出回っている同人誌だった。彼が開いていたページには、論文が載っていた。教授の堕落がひどいので、優秀な人材を引き抜くべきだ。某高校国語科教諭の本井氏を推薦する、という内容だった。作者の名前に小野功太とあった。弁解しても聞いてもらえなかった。功太は田村を問いただした。

「ああ、あれか」

平気な顔をしていた。名前が知れると動きづらいので、功太が書いたことにしたとのことだった。

「まあいいだろ。昼飯をおごるよ」

納得はいかなかったが、怒る気も失せていた。食堂に行くと、本井がいた。

「よく来るんですか」

「安くて美味しいからね」

「先生は暇なんだよ」

「田村、この前の劇はどうだった」

「シェイクスピアはよくわかりません」

「読んだって言ってたじゃないか」

「読んでもわかりませんでした。どうしてハムレットはあんなに怒ってるんですか」

「それがわからないからお前はだめなんだ」

功太は食事をしながら聞いていた。しばらくして田村が席を立った。

「仲が良いですね」

本井は肩をすくめた。

「田村はどうして先生を慕ってるんですか?」

「あいつは高校時代、いじめられてたんだ」

「……」

「柔道部だったんだけどね。ひどいことをされてた。僕は担任だったから、話を聞いてやることがあった。気晴らしになればと思って小説を貸してやったら、のめり込んでしまってね。自分で買って読むようになった。いじめは続いてたみたいだけど、表情は明るくなった。それで文学部に来たのはいいんだけど、ぼくを教授にするって騒いでるから困ったよ」

食堂の隣にある売店に、田村はいた。缶コーヒーを抱えている。本井の好物だった。

「先生は教授になりたいんですか?」

「そんな気はないね」

戻って来た田村から、彼はコーヒーを受け取った。本井は思い出したように言った。

「そういえば、この前の金は返したのか」

「まだですね」

「早く返さないと迷惑だぞ」

田村は財布を取り出して、千円札を三枚、功太に差し出した。

「返しといてくれ」

本井は呆れている。

「良子さんに誕生日プレゼントを買うことになってな。大川先生と、本井先生と、西宮とおれで会費を出したんだ。おれの持ち合わせがなかったから、西宮に立て替えてもらった分だ。お前に頼む」

功太は頭に血が上ったが、少し考えてから受け取った。

 

次の授業が終わったあと、功太は明美に声をかけた。金を手渡すと怪訝顔をしていたが、すぐに笑顔になった。

「あの人の分だね」

「勝手なやつだよ」

「わたしのこと、嫌いなのかしら」

二人は入り口の側にいた。通り過ぎる学生たちの視線を感じた。

「よかったら、ご飯でもどう?」

「もう食べたよ」

返す言葉もなかった。明美は続けた。

「お茶するくらいならいいよ」

「……ありがとう」

彼女は大学の近くにある喫茶店に案内してくれた。

「良子ちゃんの体調が良い時は、よく来るの」

功太は店の中を見渡していた。十席ほどしかなく、薄暗かった。壁には写真が掛かっていた。

「そんなに珍しい?」

「良い写真だなって思って」

功太の目を引いたのは、川に浮かぶ少女の写真だった。胸の上で手を組み、目

を閉じている。川岸には草が生い茂っている。

「良子さんのプレゼントは、何を買ったの」

「絵の具」

「絵を描くの?」

「上手だよ。病院でも描いてる」

「見てみたいな」

「この前は大川先生を描いてた」

客はなく、二人の声だけが響いていた。二十分ほど過ごした

「そろそろ帰らない?」

明美は財布を取り出した。二人は席を立った。

喫茶店は坂の途中にあり、外に出ると街が一望できた。西日が明美の横顔を照らしていた。彼女は自宅までついて来るよう頼んだ。家の前に着くと、彼女は紙袋を持ってきた。中には絵の具セットが入っていた。

「おれに?」

「あなたが渡した方が、良子ちゃんも喜ぶと思って」

功太の返事も聞かず、明美は帰っていった。

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