谷崎潤一郎の変態小説を読もう

こんにちは。休日はパソコンの前から離れないので腰と肩が固まっているばんばんです。

今日は谷崎潤一郎について書きます。おすすめの作品も紹介するので是非読んでみてください。

谷崎潤一郎ってどんな人?

Wikipediaから引用します。

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 – 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。

代表作は「細雪」「蓼食う虫」などでしょう。晩年は腱鞘炎が悪化して筆を持てなくなったため、口述筆記で執筆していたというほど創作意欲旺盛でした。

27歳当時の谷崎

 

しかし、ぼくはあえて言いたいです。

谷崎、お前はただの変態だと……

谷崎潤一郎は変態?

文豪をお前呼ばわりしているばんばんですが、これから話すことを聞いていただければみなさんも納得できるかと思います。

谷崎は極度の足フェチだったことで知られています。大学の講義でも言われたことなのでほんとです。

とあるエッセイで、関西の芸者が足袋をはくことを批判していました。生足を見せろということですね。

「刺青」「瘋癲老人日記」「冨美子の足」などの作品では、足フェチを思う存発揮しています。女性の足が大好きな皆さんも読んでみましょう。

これだけならまだいいのですが、谷崎はもう一つ性癖を持っていました。

谷崎はドМだった

谷崎はドMだったのです。

「痴人の愛」という作品が代表的です。この作品は「中年男が美少女にいいように遊ばれる」作品です。終盤では美少女に馬乗りされ、絶対服従を誓う主人公(おっさん)の姿が見られます。

なんだただのドMの足フェチじゃないかと思ったそこのあなた、そうです。谷崎はドMの足フェチなのです。

ちなみにばんばんはドMの巨乳フェチです。罵ってください。

谷崎の女性関係

谷崎は女性関係でも特異な経験をしています。再びWikipediaから引用します。

1915年(大正4年)、谷崎は石川千代子と結婚したが、1921年(大正10年)頃谷崎は千代子の妹・せい子(『痴人の愛』のモデル)に惹かれ、千代子夫人とは不仲となった。谷崎の友人・佐藤春夫は千代子の境遇に同情し、好意を寄せ、三角関係に陥り、谷崎が千代子を佐藤に譲ることになったが撤回するという「小田原事件」が起きた(佐藤の代表作の一つ『秋刀魚の歌』は千代子に寄せる心情を歌ったもの。また、佐藤は『この三つのもの』、谷崎は『神と人との間』を書いている)[5][19]。
結局、1926年(大正15年)に佐藤と谷崎は和解、1930年(昭和5年)、千代子は谷崎と離婚し、佐藤と再婚した。このとき、3人連名の「・・・・・・我等三人はこの度合議をもって、千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成り、・・・・・・素より双方交際の儀は従前の通りにつき、右御諒承の上、一層の御厚誼を賜り度く、いずれ相当仲人を立て、御披露に及ぶべく候えども、取あえず寸楮を以て、御通知申し上げ候・・・・・・」との声明文を発表したことで「細君譲渡事件」として世の話題になった[5]

要するに、奥さんを他人に譲ったんです。

NTRをしてますね。時代の最先端を行ってます。敵いません。

この話は「蓼食う虫」という作品で扱われています。

いろいろと次元が違いますね。

文章家としての谷崎

作品の内容がぶっ飛んでることで有名な谷崎ですが、文章にかけては彼の右に出るものはいないでしょう。

とにかく文がうまいです。「細雪」に顕著な特徴ですが、谷崎の文章は一文が長いです。

一文を長くするのは本来タブーなのですが、谷崎はそれで文章を成立させています。

彼の文章を書くエッセンスは「文章読本」に集約されています。文筆を志すなら読むべきです。

文章読本を読もう

内容に関しても形式に関しても、格が違うのが谷崎潤一郎です。

まとめ

谷崎潤一郎のすごいところをまとめます。

  • 変態的な内容の小説が多い。
  • 文章がずば抜けてうまい
  • 私生活も変態

以上です。みなさんも谷崎の作品を読んでみましょう。




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