創作小説 初雪の降る頃に ①

考査が終わった次の日、裕二と電話で話した。考査の期間中はほとんど連絡をとっておらず、声を聞くのは久しぶりだった。
「なんとか赤点は免れそうだわ。京子は相変わらずよくできた?」
「少なくとも赤点は無いかな」
「その言い方は馬鹿にしとるな」
「馬鹿にしとるよ」
「なめとるわ」
「それより、野球部の練習はどうなの」
「冬練が本格的になってきたもんできついわ。角田先生、今年は去年より厳しくしたるっていっとったでな」
「去年もキツかったっていっとったね」
「去年は長坂先生がメニュー決めとったでな。あいつもエゲツないメニュー組んでくるんだわ」
長坂という名前を聞いた途端、京子の顔は曇った。
「快方に向かっとるらしいよ。詳しいことは知らんけど、角田先生がいっとった」
「長坂の話なんかしんといて欲しいわ」
「まだそんなこと言っとるんか。京子が嫌でもそのうち帰ってくるわ」
「そういう裕二はどうなの。野球部で厳しくされとったんでしょ。帰って来たらまたやられるよ。前に電話した時。長坂帰ってこんで欲しいって言っとったが」
「まあ、言ったけど……」
裕二は言葉を詰まらせた。
「でも、良くなって欲しいって思っとるのはほんとだよ」
京子は無視した。

 

長坂陽一は社会科の教諭で、京子は一年生の時から教わっている。その名前を聞くたび、京子は彼に言われた言葉を思い出す。
一年生の秋、考査前の課題を提出しなかった京子を、長坂は廊下に呼び出した。提出しなかった理由を聞かれて、京子は、忘れていました、と答えた。長坂は肩をすくめて鼻で笑ったあと、どういう教育を受け取るんだお前は、と言った。
「わたしはテストで点取れるので課題はやらなくてもいいですとでも思っとるんか。なめとったらいかんぞ。佐橋や松本は点こそお前より下だけどな、授業態度や提出物を加味したらお前より成績ええわ。お前の弟も似たようなことやっとるけど、姉弟そろって人を馬鹿にしとるな」
課題を明日までに提出すると約束して話は終わった。大股で去っていく長坂の背中を、涙をぬぐいながら京子は睨みつけた。その日の夜、課題の問題集に答えを写しながら、また泣いた。
彼が入院したのは今年の六月だった。授業を休み、野球部の練習にも来なくなった。体調不良だと聞かされていた。白血病だとわかったのはそれから約一ヶ月後のことで、野球部以外の生徒にもすぐに広まった。
「長坂は厳しいし、ひどいことも言われたけど、あいつのおかげで試合に出してもらえたのも事実だし、今度の夏大でベンチに入れたのも一年の秋から使ってもらったからだしな。それに、嫌なやつかもしれんけど、重い病気にかかっとるわけだからな。あんまり不謹慎なこと言ったらいかんだろ」
その時の裕二の話を、京子はほとんど聞いていなかった。

 

冬休みの前、夕食の後で光晴が切り出した。
「姉ちゃんってさ、一年の時、同じクラスの女子をいじめとったの?」
「誰に聞いた?」
「裕二さん」
光晴の答えを聞いて、京子は頭に血がのぼるのを感じた。すぐに部屋に戻り、裕二に電話した。
「どうした、急に」
「わたしがいじめをしとったこと、なんで光晴に言ったの」
唐突に問い詰められた裕二は言葉が出てこない様子だった。何か食べながら話しているのか、口をもぐもぐさせる音が聞こえた。
「なんであのことを光晴に言ったのかって聞いとんの」
「いや、なんとなく話の流れで……」
「余計なこと言わんでもいいんだわ!」
「そんなこと言われても知らんよ……。話が広まるのが嫌ならやらんければよかったが。それに、お前が思っとる以上にこの話は有名だぞ」
裕二にそう言われて、京子は怒りが急に冷めて行くのを感じた。裕二は電話を切った。スマートフォンを耳から離すと、手のひらの上で青白く光る液晶画面が目に入った。画面を見つめていると、ドアがノックされ、光晴が入ってきた。
「もしかしておれ、余計なこと言った?」
京子は虚ろな目で彼を見て尋ねた。
「この話ってそんなに有名なの?」
「よくわからんけど、野球部の先輩はみんな知っとるよ。練習の後とかにたまにその話になるし。姉ちゃんにいじめられとった人、今、学校に来とらんらしいね」
京子が驚いて光晴の顔をみると、彼は眉を上げた。
「知らんかったの? 夏休み前くらいから来とらんらしいよ。もちろんいじめられとったのは一年の時だでさ、学校に来んようになったのは姉ちゃんにいじめられた件とは関係ないとは思うけどね」
扉の前に立って、光晴は笑いながら言った。彼は裕二よりも背が高く肩幅も広いが、痩せていて線は細かった。夏休みの前には眉が濃かったが、三年生が引退してからは細く整えられた。筋の通った鼻と丸い目が姉と似ていた。壁にもたれて腕を組む弟の姿を、京子は見つめていた。
「まあ、安心しやあって。姉ちゃんがいじめをしとったとしても、おれは姉ちゃんのこと嫌いにはならんでさ」

京子がいじめをしていたのは一年前のことだった。
彼女がトイレに行っている間に、筆箱の中身を全て抜き取った。授業が始まってから異変に気付き、少し迷ってから手を挙げて教師に申し出た。普段は温厚な数学教師がその日は虫の居所が悪く、叱責されてしまった。涙を流して頭を下げる彼女を横目で見ながら、京子は自分の机の中にあるシャープペンと消しゴムを弄んでいた。
京子のいじめは激しくなっていき、聞こえるように悪口を言ったり、クラス全員が入っているグループLINEから追放したりした。京子とつるんでいた友達はもちろん、他のクラスメートも時には眉をひそめたり呆れたりすることもあったが、誰も止めることはせず、一緒になって楽しんでいることの方が多かった。夏休み前には飽きてやめた。
夏休みが明けてから、他のクラスにも友達が増えていったが、誰もいじめのことには触れなかったし、何人かの男子生徒からは連絡先を聞かれたり、休みの日に遊びに行こうと誘われたので、京子は安心した。裕二と知り合ったのもこの頃だった。連絡先を交換し、野球部の練習が休みの月曜日には一緒に帰ったりするようになった。何度めかに二人で下校した日、裕二は言った。
「有山ってさ、一年の時いじめやっとったらしいね」
「まあ、そんなこともあったね……」
隣を歩く裕二の視線が痛かった。
何度か二人で遊びにいき、夏休み明けに裕二から告白して、二人は付き合い始めた。

 

冬休みのある日、京子と裕二は二人で下校した。
「長坂先生、もしかすると春には帰ってこれるかも知れんてさ。上手くいけばおれらの夏大は一緒に戦えるかも知れん。そうなったらいいな」
頰をほころばせながら話す裕二を見て、京子は顔をしかめた。長坂の悪口を言っている彼のことを思い出すと、そうせずにはいられなかった。京子の表情に気づいたのか、裕二が怪訝顔で尋ねた。
「どうした、難しい顔して」
京子は歩みを止めた。冷たい風が頰に当たる。裕二も立ち止まり、道の真ん中で二人は向かい合った。
「裕二、前にわたしに長坂の悪口言っとったが。ムカつくとか、やめてほしいとか、帰ってこんでいいとか。なんで急に手の平返しとるの」
裕二は目を細めて京子を見ていた。
「それとこれとは話が違うだろ」
「違わんわ」
「確かにおれは長坂先生のこと悪く言ったかも知れん。それはおれが悪かった。でもな京子、長坂先生は生きるか死ぬかっていう状況なんだぞ」
語りかけるような口調で言う裕二を、京子は睨みつけた。裕二は怯んで一瞬だけ体を震わせた。頭の奥が熱く痺れた。課題の件で長坂に叱られた時と同じ気持ちだった。目の前にいる彼が、とても遠くにいるように感じた。
「わたしは、長坂なんか死んだらいいと思っとる」
裕二は目を見開いた後真顔に戻り、何か考え込むように眉間に皺を寄せた。京子は深く息を吐いた。
「ごめん、京子。今日は先に帰るわ」
そう言って裕二は背を向けた。去っていく彼の背中を、京子は見つめていた。

 

その日の夜、京子は弟の部屋を訪れた。ノックをすると扉が開き、怪訝顔の光晴が出て来た。
「どうしたの」
「とくに用事はないんだけどさ、たまには二人で話そうと思って」
光晴は無表情なまま姉を迎えいれた。
「光晴、あんたも長坂には結構厳しくされとったんだってね」
光晴の椅子に座って少し雑談した後、京子は切り出した。光晴はベッドに寝転がったまま話している。
「気分屋なんだわ、あいつ。白血病以前に精神病にもかかっとるんじゃないか? こんなことここでしか言えんけど、おれは長坂が死んでくれたらいいと思っとるわ。代理で来てくれたコーチの方が優秀で信頼できるし。長坂はコーチとして信頼できんうえに人としても嫌いだわ。マジで死んで欲しい」
彼の横顔を見ると、京子は胸がざわつくのを感じた。口元が緩むのを抑えられない。椅子から立ち上がり、ベッドに腰かけて弟の頭を撫でた。
「なんだよ……」
光晴は体を硬くした。それには構わず京子は彼を抱き寄せた。京子の柔らかい胸が光晴の肩に触れる。
「光晴、お姉ちゃんも同じ気持ちだよ」
耳元で囁くと、光晴は緊張を解き、体を姉に預けた。

 

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